安定成長期
光通信用半導体レーザ(DSMレーザ)・光ファイバー製造法(VAD法)
概要
光通信は、1980年代後半以降に起きた情報通信技術の急速な発展を担ってきた。光通信システムによる大容量の情報伝送がなかったら、現在のように多くの人がインターネットを通じてつながる社会がこれほど早く実現することはなかったかもしれない。光通信にはレーザー・エレクトロニクス技術そしてファイバーの材料技術が重要であるが、半導体レーザー技術面では、日本の組織から多くの技術的なブレークスルーが生み出された。また、光通信の伝送媒体の主力となったガラス光ファイバーの大量生産技術であるVAD法(Vapor-phase Axial Deposition Method)も我が国の開発になるものである。
半導体レーザーは、1962年に米国のゼネラル・エレクトリック(以下「GE」と呼ぶ)外4つの米国企業、大学グループによって開発されていた。しかし、その用途は極めて限定された条件下でしか機能しなかった。様々な改良が続けられたが、その寿命は短く実用化は容易ではなかった。東京工業大学の末松安晴とその研究室はそれまでの半導体レーザーの材料であったガリウム・ヒ素(GaAs系)を基板としたものからインジウム・リンを基板とした半導体レーザーを開発するとともに、大量の情報伝送に必要な単一モードでの発振を可能とする動的単一モードレーザーを提案し、1981年その実験に成功した。これによって大容量長距離光通信への途が大きく開拓され、これに関係した多くの企業・組織とともにこの分野でのその後の世界の研究開発をリードするところとなった。
一方、光ファイバーの開発は、1970年に世界で初めて低損失のファイバーが実現できることが示され、1974年には優れた製品ができる製法が開発されていた。しかしながら、この製造技術では量産化は困難であった。日本では、日本電信電話公社(現 NTT、以下「NTT」と呼ぶ)が1970年以降若手研究者を結集し、光通信を新たな時代の通信システムの中核と位置づけて この開発を推進した。さらに、古河電工、住友電工、藤倉電線という電線業界の結集を図り、これら各社との連携の下に製造技術の開発を進めていった。
1977年、NTTの伊澤達夫らはVAD法という画期的な製法を開発し、さらに上記3社との共同研究によって改善改良され、量産化を実現した。この技術は現在でも広く使われており、全世界の光ファイバー生産の約6割がこの製法で製造されている。
こうした技術を背景に日本の光ファイバー通信網は世界に先駆けて全国に張りめぐらされ、e-Japanとして推進された情報化時代の日本のブロードバンドの形成を担ったのである。